なぜ空を飛ぶのか

飛びたい理由は人それぞれ

空を飛びたい、と思うのはなぜでしょうか。

鳥のように空中を飛べたらいいだろうな、という自由を求める心からなのか、飛行機を乗りこなしてみたい、というような、マシンを乗りこなす欲求からなのか。飛んでいる人に1人ずつ聞いていけば、それぞれが違った答えをしてくれるでしょう。

そこに、言葉にできる理由はないのかもしれません。飛びたいというのは、おそらく一種の衝動です。

もちろん、そんな危なそうなことやりたくないよ、という人もいるでしょう。そういう人の方が多いと思います。

手始めに、私がなぜ空を飛ぶようになったのか、そして飛ぶようになって良かったことをお話ししましょう。

「自分にもできそう」

1970年代後半から80年代にかけては、ハンググライダーのブームといえる時代でした。小学校の頃から、映画や特撮やアニメの小道具としてハンググライダーが使われるのを見て育ちました。漠然と「ハンググライダーで飛んでみたい」と思うと同時に「ものすごいマニアがやるものなんだろう、自分に手が出せるものではない」とも思っていました。

仮面ライダーもハンググライダー
コンバットアーマーもハンググライダー
プラレスラー操縦者もハンググライダー

中学生から高校生の頃、1990年前後に、今度はパラグライダーが流行しはじめます。テレビで見たパラグライダーは、スキー場の斜面をごく普通のおじさんが駆け下りていくとフワッと浮き上がり、その人の飼い犬がそれを追いかけていってふもとで再開を喜ぶ、といった構図でした。

「これなら簡単そう、俺にもできる。飛んだら気持ちいいだろうな」

目標にしていた大学にハンググライダーとパラグライダーのサークルがあるのを知り、絶対入る!と勉強して無事合格。入学と同時に部室を訪ねました。

居合わせた先輩「来週末に見学会やるからおいでよ」

私「いえ、すぐに始めたいです。その日にパラグライダーのスクールに入りたいので何を用意すればいいのか教えてください」

こうして、平日は部室に入り浸り、週末は練習に行くようになって、気付いたのは居心地の良さでした。

自分の居場所ができた

空を飛ぶ人は、基本的に自分1人で何でもできなければなりません。ほんの2メートル上空に浮くだけで、インストラクターといえども声で指示をすることはできても、手を出して助けることはできません。ひとたび空中に出たら、自分の力で状況を判断し、適切に操縦して、無事に着陸しなければならないのです。

同時に、完全に1人で空を飛ぶのは困難です。山に車で上がるならば、運転してくれる人が必要。自分の車で上がったら、後でその車を取りに行くために他の車を出してもらわなければなりません。歩いて山に登って飛ぶことも、歩いて車を回収に行くこともできますが、大きな労力がかかります。離陸の際もサポートしてくれる人がいれば安心感があるし、着陸場所の風が安定しないときは先に降りた人に風を教えてもらうこともできます。

こうして、空を飛ぶ人たちの間では、「自立した個人同士が」「協力して事に当たる」コミュニティーができています。それまでに属した集団というのは、学校だったり部活動だったり、集団に個人を合わせる傾向が強く、ずっとなじめないでいました。空を飛ぶようになり、これが自由と責任か!ついに、自分の居場所ができた!と心が晴れ晴れとしたのを覚えています。

世界中に友達ができた

さて、パラグライダーで空を飛ぶようになり、面白さにはまって夢中になって飛び、2年後にはハンググライダーを始めて、さらに深みにはまっていきました。一緒に飛ぶ仲間に年齢性別職業の違いは関係なく、交友関係が広がります。スクールのあるエリアから離れて、他のエリアに大会や遠征で一緒に行ったメンバーは、ますます仲の良い仲間になっていきます。この10年後には、世界選手権に出場する日本代表チームのサポートで、世界各地に行くようになりました。すると世界各地に沢山の友人ができます。飛ぶ人同士に国境はなく、空中で同じ感覚を共有する者同士、すぐに仲間になれます。

30代の後半にはスクールで教えるようになり、飛んだことのない人に、安全に楽しく飛ぶ方法を伝えるようになりました。先生になりたいと思ったことはありませんが、一緒に同じことができる仲間を増やしていき、コミュニティーを維持することにやりがいを感じています。

自分の身は自分で守る

空を飛ぶようになってよかったもう一つのことは、自分の身を守る術が自然に身についたことです。空を飛ぶ以上、自分の機材、体調、技術が万全でなければ危険なので、いつでも身の安全を確かにする癖が身につきます。それに、時には2000m以上の上空にグライダーごとを押し上げてくれるような自然界の巨大なエネルギーを知ると、人間の力の小ささ、弱さを思い知ります。この結果、日常生活でも、住むところを選ぶ時でも、より安全で確実な方法を選ぶ癖がつきました。たとえば、電車を待つときにホームの端に立ったりしません。たとえば、住む場所は緩やかな丘の上で、洪水にも崖崩れにも遭わず、地盤が堅く地震にも強い場所を選びました。

空を飛ぶことにはリスクが伴います。飛ばない人生を選んだ場合よりも、危険な目に遭う可能性は高いのは否定できません。同時に、もしも自分が飛んでいなかったら、ここまで日常生活のリスクを本気で考えていただろうか、とも思います。もう少し、危険に無自覚な生き方をしていたかもしれない。事故や災害に巻き込まれる可能性が、今よりも高かったかもしれない。都会暮らしのストレスで弱っていたかもしれない。トータルで考えると、どちらがリスクの高い生き方か、簡単には言えないと思います。

心から嬉しい、本気で悔しい

ハンググライダーは天候に左右されるスポーツです。練習に通っても、雨が降れば飛ぶ練習はできないし、風向きが悪かったり風が強すぎたりしてもダメ。それでも、練習を続けていると次第にできることが増えていきます。傾きを直してまっすぐ飛ばせるようになった、行きたい方向に旋回できた、衝撃なく着地できた。小さな上達の一つ一つが嬉しく、思い通りに飛ばせないと悔しい。

上手に飛べるようになっても、毎回思い通りに飛べるとは限りません。セオリー通りに上昇風の出る場所を飛んでも、一つも当たらずに降りてしまうこともあります。実力と機材に加えて、運の要素もあるわけです。

1本のフライトの間でも、良い上昇風に入れば文字通り天にも昇る気持ちになり、高度が下がって降りそうになると、焦りや落ち込みに悩まされます。そして、再び上昇できる方法を探して頭と感覚をフル回転させます。

大の大人がこれほどまでに感情を上下させる機会は、日常生活ではおそらくあまりないでしょう。これも空を飛ぶことの良さだと思っています。

人生を豊かにするため

空を飛ぶことの爽快感。自立した個人による居心地の良いコミュニティー。これが私の飛ぶ理由であり、インストラクターになった理由でもあります。

空を飛ぶことには危険も伴い、機材は高価で、時間も使います。損得で考えたら損かもしれません。でも、ある講習生がいいことを言ってくれました。

「人生を豊かにするためにやってるんですよ」

その通り、私の人生も、飛ぶことで確実に豊かになったと思います。

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